2023/03/18 メインクエスト5.0-漆黒【05.アリゼーを探して】を更新しました。

【雑記】マイディーさんの訃報にあたり

本文章は、私自身が彼の訃報にあたり、いろいろな感情が込み上げてしまい、何らかの形で噛み砕かねば次に進めないと感じたが故に書いている文章です。要するに自分のためのものです。

偽善、便乗、その他諸々良く思わない方もいらっしゃると思います。すみません。それでも、何か書いて残しておきたいと思ったが故に筆をとっています。ご理解いただけますと幸いです。

1.

ドラマ化、映画化された「FF14 光のお父さん」の原作者であり、ブログ「一撃確殺SS日記」の著者でいらっしゃるマイディーさんが他界されました。

数ヶ月前からどうも身体の調子が良くない様子でしたのは、それこそブロクの内容から明らかでした。
それでも現代医学ならばきっと大丈夫だろう……と思っていたところ、文章はどんどんと読み難く、短く、誤字脱字が目立つようになり、ついには十年近く続いていた毎日更新が途絶えたところでの訃報でしたので、本当にやるせなく、そして悲しく思いました。

FF14に限らず、常日頃から多くのゲームやそれ以外の趣味も楽しんでいる様子が伺えましたので、若くしてお亡くなりになったとう事実は、ご本人の気持ちを想うと悔しくて仕方がありません。

2.

多くの方と同じように、私はマイディーさんと直接の交流はありません。

彼のブログを知ったのは新生直後、まだまともにログインができない頃でした。

友人に勧められてFF14のパッケージを買い、まんまとハマってしまったはいいものの……ログイン出来ず、脳内がただひたすらに「FF14やりたい」で占められていました。

とにかくなんでも良いからFF14成分が摂取したくて(今もあまり変わっていないですが)、ひたすらにブログ巡りをする中で、「一撃確殺SS日記」を見つけました。
その他は掲示板のまとめブログが多かった中、オリジナルで毎日更新、軽快で読ませる文章で綴られている「一撃確殺SS日記」は、ひときわ心に残る存在であったことを覚えています。

つまり、新生当時からの読者です。
当然光のお父さん企画が始まったときは「何か面白そうなことやっているな」とワクワクしていましたし、最終的に成功した時やドラマ化が発表された時は、自分のことのように嬉しかったです。
あの企画が始まったときからの読者であった、というのは、自分の数少ない自慢であったりしますね。面倒くさいファンですよ!

3.

一度も会ったことがない方の訃報に、こんなに心が揺れたのは……自分でもまだ砕ききれていませんが、きっと「同じユーザー」であったから、なのだと思います。

多くの方が感じていたと思うのですが、私はマイディーさんに妙な親近感を抱いていました。それは彼の筆致がそうさせることもあり、加えてドラマ化・映画化された物語の原作者……開発にも相当近く、有名な存在でありながらも、ユーザーの立場を崩さなかった点が大きかったと思います。

遠そうで近いというか。近そうで遠いというか。

どんな場にも顔を出さず、あくまでもいちユーザーとしての姿勢を貫き、FF14に限らず様々なゲームや趣味を楽しんでいる様子は、ブログからもずっと伝わってきました。

4.

だからこそ、自分の気持ちが混乱しました。
例えばこれが身近な誰かの訃報であれば、悲しみを表現するのに遠慮は要りません。はるか遠くの有名人であれば、様々な形で感情を発露できたことでしょう。

しかし、彼は自分と同じユーザーなのです。

なんだか私が大いに悲しむのも違う気がする。
かといって何も言わないでいられるくらい、感情が動いていないわけではない。

そんな灰色の混乱が、自分の中を占めてしまいました。

5.

全く話は転じますが、私は父を数年前に亡くしました。
ちょうど光のお父さんのドラマ版が放送されている時でした。

人が死ぬと、行政の手続きもさることながら、非常に多くの……いわゆる「文化」が待っています。例えば49日間……だったかな。毎日故人の前にお膳をあげたり、毎日お花を変えたり、引きも切らずに訪れる弔問客の対応をしたり。悲しみにくれているはずの遺族は、悲しみに暮れる暇がありません。

最初はそんな文化のことを、なんて意味のない行事だろう……と思っていたのですが、どうやら違いました。
それぞれの行為自体に意味があるかはわかりませんが、少なくとも親しい者が他界したという「心の穴」を、忙しくすることで埋めるという意味がありました。

母は私なんかよりずっと父と一緒の時間を過ごしていました。そんな父がいなくなってしまったのだから、きっと心にとても大きな穴が出来てしまったはずです。直後、悲しむ間もなく忙しく動き続けていた母は、それでも悲しみに押しつぶされることはなく、元気しています。
今でも泣くことはるのですが、一番辛いあの頃、何でも良いから何かすることがあったというのはきっと意味があったのでしょう。

人は誰かが亡くなった時、何でも良いから何かをして、心の穴を埋めなければならないのです。

6.

転じて、私達ユーザーが身近に感じていたマイディーさんの訃報に対し、私達ができることはありません。
それでも何かしなければ、自分に穴があいてしまいます。

私にとってやるせなさはここにありました。
SNSで訃報にあたっての気持ちを現しても良いものか。
「お悔やみ申し上げます」の言葉が薄く思われてしまわないか。

いろいろ考えて、いろいろ飲み込んで、やっぱりどうしようもなかったので……この文章を書きました。

だから、これは自己満足です。
それでも良いじゃないですか。マイディーさんに笑わせてもらって、彼の生み出したコンテンツで楽しませてもらった。その気持を自由に表現したっていいじゃないですか。

SNSにはいろいろな意見があります。どれもよく分かります。様々な言葉、表現に、腑に落ちない気持ちを持つ人もいるでしょう。
でも、良いじゃないですか。皆、自分が抱える気持ちに折り合いをつけようと必死なのです。偽善で結構。それで立ち上がれるならば、どんどん偽善を積み上げるべきです。

まあ、偶に全力で乗っかろうとしているだけの愚者もいますが……。

7.

これからもゲームを楽しむことがマイディーさんへの供養……などとは言いません。あくまでも自分が楽しむために、これからもFF14が続いていくことを願います。そしてその流れに、少しでも自分が貢献できていれば良いな。

自分の為の文章は、これで終わりです。
願わくば、彼の最期が安らかであったことを。

お悔やみ申し上げます。
あなたのおかげで、更に面白かったです。

ありがとうございました。

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