2023/03/18 メインクエスト5.0-漆黒【05.アリゼーを探して】を更新しました。

【FF14 雑記】ゴウセツ、その人となりと死生観

パッチ3.5から登場したゴウセツのこと、皆さんはどう思っていたでしょうか。

初登場時、はるか東方から小舟でエオルゼアまで気合で渡り切り、その後も事あるごとに物事を気合で乗り切ろうとした彼は、よくも悪くもステレオタイプな日本の老人のように描かれました。故に、少々鬱陶しく感じる人もいたでしょう。
しかし、私は彼のことがとても好きです。4.0紅蓮のリベレーターの東方編は彼の物語であるとまで思っています。

そんなゴウセツの人となり、そしてキャラクターの裏側と魅力について掘り下げてみようかと思います。

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エオスト -Story of Eorzea- では、Final Fantasy XIV(FF14)のクエストストーリーをまとめています。あらすじ記事は以下のリンクよりどうぞ。



概略

ゴウセツ・ダイトウ。出会った時点で60歳です。

ダイトウ家がどのようなものか……劇中、アンサイクロペディア・エオルゼアのいずれにおいても明言されていませんが、ドマがリアルゼアにおけるアジア圏、とりわけ日本と中国の文化を参考とされている点から考えると、おそらく古くから国主リジン家に仕える家柄なのでしょう。

ゴウセツ自身、前国主カイエンの頃からドマ国主リジン家に仕えており、カイエンの公私問わない友として、常に共にあったのだそうです。

そんなゴウセツの運命が――こと彼に限らず、ドマ国民全てではありますが――暗転し始めたのは、25年前のガレマール帝国侵攻からでした。

侍大将でもあったゴウセツは、カイエンと共に果敢に抵抗するも敗北。加えて、彼はこの戦いで妻子を失っています。

国防を担う要職にありながら敗戦してしまったこと……伴って国を失い、妻子を失ってしまったことから絶望した彼は、幽閉された牢の中で死を望むばかりであったといいます。

そんなゴウセツの命をつなぎとめたのは、他ならぬ君主カイエンでした。
カイエン自身も当時帝国軍に幽閉されていたのですが、貴重な面会の機会を妻に――それもヒエンを身ごもっていた妻に使うのではなく、ゴウセツと会うために使い、こう言います。

「シュン坊(ヒエンの幼名)のために生きよ」と。

主君の気遣い、そして言葉に奮起したゴウセツは、死を望むことを辞め、帝国の徴兵を甘んじて受け入れ、各地を転戦。その活躍は鬼神の如しであったとか。

但し、当時のことを彼は黙して語りません。彼自身が生き残るためであったとはいえ……帝国属州で徴兵された兵は、辺境侵略のために送られます。彼は自分たちと同じ境遇の者を切り捨てる立場へと身をやつしたわけです。

ゴウセツは徴兵されたとはいえ、20年以上全くドマへ帰らなかったというわけではないようです。現在24歳のヒエンが、幼少期ゴウセツと共に過ごした思い出を語っているシーンもあることから、決して短くない時間をヒエンと共に過ごしていたのでしょう。

ガレマール帝国軍侵攻時、ゴウセツの子が何歳で亡くなったかを知る術はありませんが、帝国の占領時、ゴウセツが35歳であったこと等から考えても、おそらく10歳にも満たなかったことでしょう。幼くして他界した自分の子とヒエンをどこまで重ねていたかはわかりませんが……確かなことは、ヒエンの存在がゴウセツに生きる目的を与えたということです。

ヒエンに剣を教え、ドマを教え、カイエンの為に……そしてヒエンの為に生きることを本懐としたゴウセツは、帝国軍において多大なる戦果を上げることで数年前に兵役を終え、ドマへの帰郷が許されます。

その頃ドマでは、カイエンの奥方が亡くなったことを機に反乱が計画されており、ゴウセツも参加。その反乱は一時ドマ城を奪還するまでの勢いだったものの、最終的にゼノスが参戦したことで失敗。カイエンが死亡してしまうのでした。

その足取りと生き様

エオルゼアへ

敗戦からしばらく、ヒエンとゴウセツは共にヤンサ地方を転戦。注目を集めることで、ドマの民が安全に逃げる隙を作り続けました。その間にユウギリはドマの民を安全に亡命させるため、難民と共にエオルゼアへと向かいます。

一方ヒエンとゴウセツは奮戦虚しく、激しい戦いの中で生き別れとなってしまいました。主君が生死不明となったゴウセツは、ヒエンの行方を探すためには忍びであるユウギリの協力が必要であると考え、自らも小舟でエオルゼアへと向かいます。

その後、エオルゼアにて運良く主人公達と出会ったゴウセツは、思惑通りにユウギリと再会。帝国軍との戦いに協力した後、ユウギリと共にドマへ取って返します。

ポイントは、この時点でヒエンの生死は不明であることと、ゴウセツの行動がとても無謀に見える点です。

無謀で大雑把、根性論を好み、命を捨てることも厭わない――いわゆるステレオタイプな「東方の年寄」という描かれ方をしているゴウセツ。その傾向は、特にイサリ村到着後に顕著となります。

クガネに到着後、ヒエンを探すためユウギリと二手に別れたゴウセツは、クガネにて主人公達と再開します。紆余曲折を経て紅玉海を渡る手段を得た一行は、秘密裏にオサード小大陸へ上陸。その玄関口であるイサリ村で見たのは、ドマ代理提督ヨツユによる横暴でした。

その様子をみたゴウセツは、自らの命が危険に晒されることも顧みず、人質になることを提案。その間、主人公達に海賊衆と協調関係を結ぶよう……相当無茶な指示をしました。

さも自暴自棄であるかのような彼の提案ですが、ゴウセツは「天命が尽きるまでは死なない」と、主人公達の静止を聞くことはありませんでした。

ナマイ村 ユウギリへの叱責

その後紆余曲折を経て、ドマ城にゼノスが到着し、視察に出るという情報を得たユウギリは、彼の暗殺を提案。
しかし、ゴウセツは首を縦に振りませんでした。

殺して、その後どうする。
民に戦う気力がない中で、戦局を大きく動かすような判断をしてもいいのか。

主命……つまりヒエンの命令を思い出し、優先すべきは何かと、ゴウセツはユウギリに諭します。
結局暗殺は失敗。その後ゴウセツは、ユウギリに「命を大事にするよう命令されているのだから、自愛するよう」と諭すのです。

天命と主命

イサリ村では自ら命を捨てるような行動をしたゴウセツ。
一方、ナマイ村で命を捨てるような行動をするユウギリを咎めたゴウセツ。
一見矛盾しているような行動ですが、あるポイントで考えると答えが見えてきます。

それは主命と天命……つまりヒエンが生きているか否かです。

最初、ヒエンの生死が不明出会った頃、ゴウセツはさかんに「天命」という言葉を用います。天命――運命と言い換えても良いかもしれませんが、彼はその言葉を使う時、成すべきことを成すまでは死なないと考え、無茶な行動も厭いません。

一方、ナマイ村での話は既にヒエンが生きていることが判明したあとのことです。
その後、ゴウセツは天命という言葉を使わず、主命――つまりヒエンの命令であるという言い方をします。そして、むしろ命を捨てても構わないと考えるユウギリに対し、主命ではユウギリ自身の命も大切にするよう言われているはずだと叱責するのです。

アジムステップにて ドタール族との出会い

ゴウセツを登場時のイメージであるステレオタイプな東方老人として見ていると、その本質をつかむことはできません。つまり「武士道とは死ぬことと見つけたり」というような、いかに死ぬべきかを考えて行動するようなタイプであると捉えるとそれは正しくないのです。

そもそも、彼は決して死にたがりではありません。

天”命”と主”命”……自らの”命”をかけるべき時とそうでない時を、常に天秤にかけて判断しています。
彼が死を選ぶ時、それはドタール族の集落で自らの口から語られます。

ドタール族は生き返りを信じ、魂を輝かせて次に繋げるためならば命を捨てることも厭わない部族です。彼等の生き様を見たゴウセツは、死の先に繋がるものがあるならば死ぬことも恐れないその様に、自分と同じものを感じとります。

ゴウセツもまた、主命ならば命を捨てる覚悟があります。しかし、それは死を望んでいるからではありません。自分にふりかかる結果がどちらも同じ死だとしても、その意味は全く違います。

死の先に何があるか。死が何の礎になるのか。
彼の判断基準はまさにそこにあります。

ドマ城にて その最期

ドマ城天守にて、ヨツユの策によって絶体絶命となった主人公達を救ったのは、その身を挺したゴウセツでした。
崩落した天井を支え、ヒエンや主人公達を逃がすために、ゴウセツはここで命を投げ出します。

それは天命であると悟ったからか、それとも主命故か。

ヒエン達に「次」をみたゴウセツは、ヨツユと共にそのままドマ城の天守崩落にのまれ、行方知れずとなってしまいました。

アジムステップでみたドタール族のように、彼は最期を笑って迎えたのです。

一筋縄ではいかないその魅力

登場時、おそらく拡張版で新たに向かう「東方」を象徴するためにステレオタイプなキャラクターを付けられたゴウセツ。しかしその実、中身はただの命知らずな侍などではなく、義に熱く、主命ならば……そして死が次の礎となるのであれば、命を捨てることを厭わない男でした。

なによりの魅力は、実は非常に考え方が柔軟なところ。相手の生き方を否定せず、自分には合わない(Not for me)というスタンスで応じる所です。

ドタール族の集落に行った際、最初彼はその生き方に驚きますが、最終的に己との共通点を見出し、シンパシーを感じるまでになりました。

彼の反応に対し「否定するな」と返したドタール族達は、ちょっと過敏がすぎると思ってしまうのは贔屓目がすぎるでしょうか。

自分の死が礎となるのであれば、死を選ぶ覚悟はできている。しかし、無駄に死ぬつもりはない。死を高潔だとも考えていない。全ては主命……ヒエンのためであり、ドマのため。そのために必要ならば……天命ならば、迷わず死を選ぶ覚悟がある。

数多の失敗を重ねてきた彼の人生は、とても深く感じます。

というわけで、ゴウセツというキャラクターの面白さ、前半はここまで。
このあと、再度重要な立ち位置のキャラクターとして出てくるわけですが……シナリオのまとめがそこまですすみ、書きたいことが出てきたら、また筆を取りたいと想っている次第です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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