FF14のメインクエストシナリオまとめを初めて2021年1月時点で2年が経ちました。プレイ自体は新生直後に始めたので、もう7年半……そんなに経つの……?
新生編で新たな冒険の始まりに胸躍らせ、蒼天編で物語に引き込まれ、紅蓮編で胸を熱くし、漆黒編で自身の歩んできた道に涙したわけですが、稀に「新生と紅蓮はいまいち」という意見を見かけます。
新生編がそう思われがちな理由については、以前雑記を書きました。一方、紅蓮編については、決して面白くないことはない……というか私は好きなので、少々心外というか。ただ、そう思われてしまう理由も分からなくはないのですよね。
というわけで、紅蓮編の物語の楽しみ方について書いてみようと思った次第です。決してネガティブな文章ではありません。
タイトルに書いている通り、あなたは紅蓮編の主人公ではありません。そのことを意識してちょっと視点を変えれば、きっと紅蓮の物語を楽しめるはずです。
エオスト -Story of Eorzea- では、Final Fantasy XIV(FF14)のクエストストーリーをまとめています。あらすじ記事は以下のリンクよりどうぞ。
紅蓮のリベレーター
紅蓮編は戦争の物語
そもそも戦争とは何か
FF14の拡張パッチ「紅蓮のリベレーター」のあらすじは、大まかにいうと帝国からアラミゴを解放するための戦争の物語です。
戦争とは、複数の”国家”、または”集団”の間での物理的暴力の行使を伴う紛争のことを指します(Wikipedia)。集団間の闘争なので、あたり前のことですが一人で戦争はできません。
そして戦争の目的とは――ここが最も重要な点でもあるのですが――相手を蹂躙することではなく、得たいものを得ることにあります。
領土を。資源を。自由を。思想を。権利を。
求めるものは様々ですが、いずれにしても戦うことや勝利そのものが目的ではありません。何かを得るために戦争は起こるのです。
紅蓮編で得たかったもの
紅蓮のリベレーターにおける戦争で得たかったのは「アラミゴの解放」「自由」です。
数十年前、時のアラミゴ国の暴君テオドリックを倒そうと起こった内乱は、帝国に付け入る隙を与え……暴君の支配からは解放されたものの、アラミゴは帝国に占拠されてしまいました。
帝国の支配は苛烈で、付き従うことで平穏を得る者、逃げ出す者、立ち上がる者等、同じアラミゴ人でありながら様々な立場の者を生み出します。そんな皆を「自由のため」という旗のもと集わせ、最終的に帝国からの自由を勝ち得るまでの戦争を描いた物語が、紅蓮のリベレーターです。
戦争は戦闘の勝利そのものが目的ではない
極端な話をすれば、戦闘に破れたとしても、目的を果たすことができれば戦争には勝利したと言えます。戦線に投入され、渦中で命を賭して戦う兵士達からすればとんでもない話ではありますが……。
紅蓮のリベレーターが「戦争そのもの」を描いている以上、物語は大局的なものになります。一兵卒では、「戦闘」に関与することが出来ても「戦争」そのものに関与することは出来ません。
司令官、指導者、リーダー、言い方はいろいろありますが、戦争そのものを語るときに名前が上がるのは一兵卒ではなく、上層部です。なぜ戦ったか。なんのために戦ったか。その意思決定をする者は上層部であり、上層部の行動、心情こそが戦争の行方を左右するからです。
FF14のプレイヤーキャラクターとは
最強の「一兵卒」
FF14のプレイヤーキャラクターは、ある意味ジョーカーのようなものです。驚異的な存在であるはずの蛮神をたった一人で片付け、戦地に攻め入っては敵将を討ち、千年続いた戦闘(竜詩戦争は、敵が邪竜一匹なのであえて戦闘と呼びます)を終わらせたことすらもあります。
このカードを切れば、ほぼ全ての「戦闘」に勝つことが出来る魔法のようなカードです。ですから英雄と呼ばれ、光の戦士として皆の羨望を集める存在なのです。
しかしながら、あくまで一兵卒に過ぎません。兵なんて言っていますが、ただの冒険者であり根無し草なわけで、どこかの組織で重要な役職を担う存在にはなれません。
もっとも、暁には食い込んでいますがあそこは寄り合い所帯なので……。
プレイヤーキャラクターに強固なキャラ付けは不可
MMORPGでは、長時間プレイヤーが操作することや、個人のロールプレイの余白を残す目的から、プレイヤーキャラクターが極力無個性になっています。どんなプレイヤーでも自己投影しやすくなっているのです。
プレイヤーは、嫌いなプレイヤーキャラクターとは長時間付きあえないでしょう。
それ故、プレイヤーキャラクターは基本的に自発的な行動をしません。誰かに言われて何かをします。
だからMMORPGの物語は、お使いを主軸に回ります。
物語には、問題とその解決が必要です。発生した問題に対してプレイヤーキャラクターが自発的に動かないのなら、NPCから問題解決してほしいと言わなければならない。故にMMORPGはおつかいが多いのです。
新生編の後半から英雄としての名声を向上させたプレイヤーキャラクターは、初期の雑な……もとい、下積みのおつかいとは異なり、特に蒼天編では至極重要な仕事を任されることが増えていました。もっとも……それ故、プレイヤーに「重要な問題は全部プレイヤーが解決している」という印象を与えてしまい、反対に暁には「なんでもプレイヤーに任せる人達」という印象を与えてしまったのですが。
問題を提供する側が自分で解決し始めた
紅蓮編以降、NPC……特に暁のメンバーは「プレイヤーキャラクターになんでも頼るわけにはいかない」と、自分で行動をする場面が増えていきました。新生から便利に使われ続けてきたことに少々辟易していたプレイヤーは、暁の皆が自立し始めたことに納得するものの……一方で自分から何か行動をしない(できない)プレイヤーキャラクターは、その役割をはく奪されてしまうことになってしまいます。
故に、紅蓮編のプレイヤーキャラクターは手持無沙汰なことが増えてしまいました。つきそいだったり用心棒だったりの役割が多いのです。自分の剣が世界を救っていた新生や蒼天とはここが違います。
紅蓮編の主人公
プレイヤーキャラクターは戦争の主人公になれない
紅蓮編は戦争の物語であり、戦争の物語を語るためには上層部の心情が必要だと先述しましたが……それでは、プレイヤーキャラクターは戦争の上層部になれるのでしょうか。
確かにそれができれば、戦争の物語は自分事になるものの、MMORPGのプレイヤーキャラクターでは出来ません。
自発的に行動しない。戦闘には勝てるが、目的を持てない以上戦争には勝てない。そもそもただの冒険者であり、戦争への動機がない。
プレイヤーキャラクターは戦争の上層部になりえない。だから戦争の主人公にはなることが出来ません。
無個性故の弊害です。
紅蓮編の主人公はリセ
そんな中、FF14ではプレイヤーキャラクターの代わりに戦争の上層部になってくれる主人公が用意されました。
リセです。
アラミゴの革命家、カーティスの娘であるリセは、20年前、姉のイダと共に帝国の支配を逃れてシャーレアンに逃亡した難民でした。
FF14の初期、任務中に他界したイダを名乗って生きていた頃の彼女は、アラミゴ解放の為というより、姉イダの……そしてパパリモの意思を継ぐことを目的に行動しているようでした。
それはある意味当然でしょう。彼女がアラミゴから逃げたのは5歳にも満たない年齢です。アラミゴに対して愛着が薄くてもおかしくありません。
しかし、彼女は紅蓮編の旅路で、仲間の死、はるか東方での体験、ラウバーンの想い、父親の残した言葉「自由か死か」を聞き、初めて彼女はこの戦争を率いる覚悟をします。
最終的に彼女はアラミゴ解放軍の指導者として成長。
解放戦争に勝利し、自由という目的を勝ち得ました。
プレイヤーキャラクターはこの戦争に手を添えたにすぎません。
リセというキャラクターを好きになれるかどうかはさておき、まず紅蓮の物語は、無個性なプレイヤーキャラクターの代わりに、彼女の戦争物語だと理解することが必要です。
紅蓮のリベレーターを楽しむために
自分は戦争の傍観者であるということを忘れない
戦争は一人では出来ず、戦闘を描くだけでは戦争の物語は語れない。一兵卒であるプレイヤーキャラクターでは戦争の主人公になり得ない以上、戦争の物語では傍観者にすぎません。
但し、暇にならないようプレイヤーキャラクターにはライバルが設けられています。
ゼノスがそれです。「戦争」において手のあいたプレイヤーキャラクターは、ゼノスとの「戦闘」で紅蓮の物語に関与します。
プレイヤーキャラクターと同様に、戦闘において人智を超えた存在であるゼノス。彼は戦争に深く関われる立場であるにも関わらず、全く興味がない様子で、ひたすらに戦闘だけを求めます。
物語はリセの戦争とプレイヤーキャラクターの戦闘の2軸で進みます。
今どちらの物語なのかを意識すると、混乱せずに楽しめるかもしれません。
エオルゼア世界の情勢を楽しむ
MMORPGはプレイ時間が長くなります。それ故に、誤解を恐れない言い方をするならば、第二の故郷ともなり得るでしょう。
その第二の故郷では、帝国による横暴に悩まされている住人がたくさんいて、世界は多くの矛盾をはらんでいます。決して一筋縄で解決できる問題はありません。
アラミゴ人は帝国の支配により、同じアラミゴ人同士でも多くの問題を抱えています。帝国の言い分にもある意味納得できる点もあり、この対立構造も決してどちらかを悪と断じることは出来ないでしょう。
短時間で終わるゲームや他のコンテンツで「世界が大変だ!」と言われるよりも、きっとその問題は自分事に感じられるでしょう。エオルゼアに生きているからこそ、問題を真剣に考えるきっかけになるはずです。
そこに生きている皆、そして自分が、立ち上がって戦った結果勝ち得た戦争の勝利。
紅蓮編最後に皆で歌う革命歌の真の意味に気付けた時、きっと紅蓮の物語は素晴らしいものになるはずです。
不満は少しある
とはいえ……物語の魅せ方がちょっと足りないのではないかと思うところもあります。
例えばアラミゴ編では、大きな転換点としてラールガーズリーチの襲撃と、スペキュラ・インペラトリスにおけるコンラッドの死亡の2点があります。
これらどちらにもプレイヤーキャラクターが同席していません。後者に至っては砲撃された瞬間のムービーすらありません。つまり、プレイヤーは蚊帳の外なのです。
いくら主人公でないとはいえ、あまりにも寂しすぎます。せめてコンラッドのほうは超える力でその様子を見せてくれても良かったのにな……と。
例えば4.4以降増追加された、NPCを操作するイベントバトルが4.0の時点であったなら、リセとプレイヤーキャラクターがダブル主人公であるという演出を効果的に挟むことができたかもしれません。
おわりに
まとめると……
- 紅蓮のリベレーターは戦争の物語だが、プレイヤーキャラクターは無個性故、戦争には積極的に関われない
- 戦争の物語としての主人公はリセ。プレイヤーキャラクターは傍観者。
- 戦闘のためにゼノスというライバルが置かれている。
- リセの成長を感じられるし、長時間プレイするゲームだからこそ、プレイヤーがエオルゼアの世界情勢を考えることで物語を楽しむことができるはず。
評価の高いパッチのストーリーに比べて、紅蓮編は視点がどうしても傍観者となってしまうので、なかなか没入することが出来ないかもしれません。確かに、プレイヤーが主人公として楽しんでいるのであれば、どこかものたりなさを感じてしまう構成になっているでしょう。
一方で、FF14という世界を顧みると、とてもおもしろい物語です。
たくさんの人がそれぞれの立場で国のことを想い、行動しています。ほとんど皆が自由と平和を求めていながら、それらはすれ違い、場合によっては争うことにすらなってしまいます。
世の中は簡単ではありません。それはエオルゼアも同じです。
エオルゼアで長く楽しんでいるからこそ、戦争は自分ごとになり、きっと考えることはたくさんあります。少しだけ迂遠ではあるけれど、紅蓮編はエオルゼアの世界そのものを楽しむ物語なのです。
少しだけ視点を変えれば、きっと紅蓮の物語も楽しめるはずです。あなたもまた、エオルゼアに生きる光の戦士なのですから。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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戦争の物語としての主人公はリセでその成長の物語なのはわかるのですが、それでも少し物足りない気がしていました。
成し遂げたい使命を抱えながらも一人突っ走ってしまっていた序盤から悩みつつも終盤には心情的には成長していっているようには見えました。
ですが結局のところ戦闘面ではプレイヤーキャラに(これはRPGとして成り立たせるためにはしょうがないと思います)、戦争で重要な役割である意思決定、統率、政治の面でもラウバーンに頼っており、成長した描写はあっても結局やることやったは周りの人間ではないのかって印象になっていました。
逆にリセの出番が少なかったドマの戦争の話はそれぞれのキャラクターの使命、実際に同志を集めるために行動したこと、特にもらった恩をアラミゴの戦争に加勢するといった形で恩返しにくるところなどとても印象に残る活躍をたくさんしており、楽しめた気がします。
ラウバーンが行った皆をまとめ上げ意思決定し、戦争を導く役割をリセが担当し、ラウバーンをも一般兵化させていれば、リセの行動面での成長も感じられたのではないかと思いました。
コメントありがとうございます。
本文中にも少し触れましたが、リセの表現については私も不満がないわけではありません。なにかもう少し工夫があれば……と思ってしまいます。
おっしゃるような動きがあれば、もう少し共感を得られたのかもしれません。
一方で、彼女はまだ立ち上がったばかりなのだ、とも思います。きっとこれから成長していくのでしょう。
リセというキャラクターそのものに対してどう思うかは好みの問題なので触れませんが、それでも少し惜しいな、と思ってしまいます。
(シナリオチームがそうするかは別として)あまり「戦争」の物語に主体的に関わらせすぎると最終的にエオルゼア3国が共謀してヒカセンを謀殺するとかそういうシナリオでもおかしくない状態になってしまうんですよね。なので対蛮神人型決戦兵器ヒカセンゲリオンって感じにしていたのかなと。
漆黒は逆にエメトセルク個人軍と世界を巻き込んでケンカしてるだけなのでヒカセンに少し強めに個性付けしてたような気がしますね。
コメントありがとうございます。
力のある冒険者なので、自国にしろ他国にしろいろいろ注目はされていますよね。物語の序盤ですら、プレイヤーキャラクターをどこのグランドカンパニーが取るかで水面下の争いがあったくらいですから。
ゼノスという強力な敵が現れたので、強い力があっても問題ないですが……三国に嫌わるシナリオが来たら私は絶望してしまいます……
初めまして!
紅蓮編をプレイしたのはかなり前ですが、私も大好きなストーリーなのでこうして魅力を紹介していただけて嬉しく思います。
私はリセもドマの人や穏健派の人たちも大好きなので、この話は大変楽しめました。
使者や最強の一兵卒として飛び回るのは大変楽しく、一兵卒であるが故に時に力及ばず仲間が倒れてしまう事もありますが、壮大なストーリーの渦中にいる実感を得させてくれる紅蓮編は他のMMOで得られない体験をもたらしてくれます。
この記事はそれを客観的に伝えてくれる素晴ら記事だと思います。
ありがとう😊
プレイヤーキャラクターは最強ではありますが、万能ではありませんからね……。私は一番最初、メッフリッドが斬られてしまった時に「なんて自分は無力なんだ!」と打ちひしがれたのを覚えています。
英雄ではありますが、全てを一人で救えない。でもその世界に生きている人たちが大きなうねりとなって(それはプレイヤーキャラクターも含めて)、成し遂げることを感じられるのは、まさに長時間プレイするゲームならではだと思います。
コメント、お褒めの言葉とても嬉しいです!
ありがとうございました。
初めまして!
ネットを彷徨い、このサイトにたどり着きました。
私は先々月に暁月をクリアしましたが個人的に紅蓮が大好きなのでこのサイトでとても面白い書き方がされてると思いました!
自分は、世界を救ったり自キャラだけが主人公や英雄ともてはやされている物語があまり好きではなく、紅蓮のように自キャラも一人の人間で何でもかんでもできるわけではないという形が、とてもしっくりきました。
確かに帝国兵が投降したというシーンなど見たかったです。幸いそこはその後のストーリーで補完されていましたが、知らないところで物語が進むのはなんとも言えませんでしたね……。
それでも、メッフリッドさんや、コンラッド隊長達レジスタンス……ドマの侍や忍、弱いけれどとても強い民たちが大好きです。彼ら彼女らが村を、街を、世界を守っている感覚を再確認することが出来ました。
ありがとうございました!
コメントありがとうございます。ご回答遅れて申し訳ありません!
紅蓮編は、世界が生きている感覚があってとても好きでした。タイトルの通り、主人公が主人公ではないことに加え、演出不足やリセの扱いのモヤり等が評価を下げた点も大きい気がするのですが、それでもエオルゼアに生きている人々の息づかいが聞こえるようなシナリオはとても良かったですよね。
紅蓮ヒカセンの一歩引いた位置で力は貸すけど前に出すぎないバランスが好き
ゼノスに負けまくるけどなぜか非常に頼もしく感じた
そんなことは理解した上でつまらないんですよ
リセの行動と考え方が無理なのにずっと同行させられてお守りしてるんだもの
物語を通して成長する話なのかと我慢してたのに、結局最後まで変わらなかったので「紅蓮やだったな」という記憶になりました
コメントありがとうございます。
リセが好きかどうかは紅蓮編の評価に大きくつながる部分だろうなとは思います。