2023/03/18 メインクエスト5.0-漆黒【05.アリゼーを探して】を更新しました。

【FF14 雑記・感想】劇場版「光のお父さん」をみて、自分の親とのことを思い出しました。

一般公開2日目の6月23日、映画館に「劇場版 光のお父さん」を見てきました。

原作は有名プレイヤーであるマイディーさんのブログ「一撃確殺SS日記」で繰り広げられた光のお父さん計画ですね。私はこの企画が始まった頃から見ていました!

という売れる前から知ってたよマウントはどうでもいいのですが、そんないちブログが注目され、ドラマ化され、はては映画化されたわけで、FF14プレイヤーとしても誇らしく、と同時に私個人としてもこの物語の核心部分に思うところがあるので、そのことについて書いていくつもりです。

なるべくネタバレは無いようにつとめます。

映画の内容にはあまり触れていません。
どちらかといえば、私個人の思い出話です。

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エオスト -Story of Eorzea- では、Final Fantasy XIV(FF14)のクエストストーリーをまとめています。あらすじ記事は以下のリンクよりどうぞ。



光のお父さん計画

ブログ版の連載中

そもそもブログ記事が始まったのは2014年です。もう今から5年も前の話になります。調べたところ当時のパッチは2.3「エオルゼアの守護者」のあたりでした。もうそんなに前なんですね。

当時の私はもう既に実家を出て数年経っており、親との仲は良くもなく悪くもなく、至ってよくある関係性だったと思います。この企画が始まった時「面白いことを考えるなあ」と思ったことを覚えています。単純な興味です。

そんなわけで、成功すればおもしろそうだなー。でもいつか情報漏れるだろうし、フェードアウトするのかななんて思っていました。余計なお世話もいいところです。

ところが、あれよあれよと企画は進行。すすむにつれて有名になっていくにもかかわらずほとんど企画の邪魔をする人もいなかったようで、2年後いよいよクライマックスを迎えた記事では私は大いに笑い、そして泣いてしまいました。

3年が経って

そんなブログがドラマ化されるという発表がなされたのは、紅蓮のリベレーター発表時の東京ファンフェスだったかと記憶しています。ブログが初公開された日から既に3年が経過していました。

3年も経てばいろいろな環境が当時とは変わっていました。

東京に住んでいた私は地方に引っ越し、当時の仕事から転職し、全く新しい環境に身を置いていました。正直多くの新しいことで頭がいっぱいであり、前より実家に寄り付かなくなっている状況であったのですが……

私はこのドラマが放送された時、是が非でも実家に帰って親と見ようと思いました。

なぜならこの時、私の父は倒れ、入院していたからです。

「光のお父さん」

光のお父さんは、父と子がゲームを通じて心を通わせるようになる物語です。

とはいえ、ゲームはあくまでも舞台装置のひとつであり、主役ではありません。当然、ゲームならではの体験が鍵にはなりますが、主軸はあくまでも父と子の人間関係なのです。

人は、多くの顔を持っています。仕事をする時の顔、趣味を楽しんでいるときの顔、家庭でくつろいでいるときの顔。

どれもが本当の自分であり、どれも本当の自分ではありません。

顔は、相手がどういう人間かどうかで変わるものです。

しかしゲームは、その顔を父と子のものではなく、二人を冒険者として「仲間の顔」にそろえてくれる道具でした。

同じ顔をつきあわせることになった二人は、現実では相変わらずすれ違ったままで、お互いに(劇中では子供から一方的にですが)相手の知らない顔を知り、心を通わせていきます。

知らない顔

私個人の話をします。

割と良い子であった私は、それが故にさほど親と腹を割って話をする間柄ではありませんでした。
なにも話さないという関係ではありませんし、親子関係が険悪であったわけでもありませんが……

おそらくそれは父にとってもそうで、格好つけであった父は家で「父親」の仮面を外すことがありませんでした。

結局、私は父と「光のお父さん」のドラマを視ることはできませんでした。
倒れたまま退院することができなかった父が亡くなってもう3年が経ちます。

劇中で言えば、私の立場は主人公よりも会社の先輩に近いものです。
私は、父が亡くなってから多くの父の顔を知りました。

葬式に来てくれた多くの人から「お父さんは明るくて真剣な人だったよ」と言ってくれました。驚きました。それは私が知らない父の顔だったから。

でもそれはきっと父も同じだったんです。

私にはできなかったこと

父が死んでから数日経って、母に言われました。

「お父さんは、あなたが何を考えているかわからなくて話をするのが緊張するといっていたよ」

と。驚きました。そんなそぶりなんて全然なかったから。

結局のところ、私は――父も含めて、相手のことを知ることができていなかったのです。いや、その機会に恵まれませんでした。

父は「父の顔」を、私は「子の顔」を。
互いに同じ顔だけを見せ合うことで満足しあい、真の意味でお互いにわかり合うことはありませんでした。

光のお父さん計画で、マイディーさんは父のことを知る機会に恵まれました。
それが羨ましくて、私にとって「光のお父さん」はなんだか心に残る話になっていました。

後悔

親は一番近くにいる他人、なとどいいます。

結局のところ、相手のことを真にわかることなんてできません。できていると思っているのならそれはエゴでしかなく、分かりあわなきゃいけないことなんてないのです。

ただ、私は親のことを一面からしか見ませんでした。
親も人間で、複数の顔をもっていることに気がつけませんでした。

もしも気がつけていれば。同じ顔で話ができていれば。
そう考えてしまうこともあります。

それは私にとって、もはや叶わぬ願いです。
だからこそ消せない後悔がこみ上げてしまうのですが……

劇場版

オープニング映像は海の映像のズームアウトから始まります。
その映像があまりにも綺麗で、私は最初エオルゼアパートだと気が付きませんでした。

それに気がついた時、なんて素晴らしい世界なんだと思い、同時のこのゲームをプレイしていることが誇らしくなりました。

正直、現役の光の戦士であるならばその映像を大スクリーンで見るだけでも劇場に足を運ぶ価値があると思います。

多くのヒカセンは話の概要知っていると思います。ただ、再構築された物語はわかりやすく、テンポもよく、より感動的なものになっていました。もし迷っているヒカセンがいるのであれば、ぜひ映画館で見ていただきたいです。

当然ながらFF14を未プレイの方にとっても感動できるお話です。書いたとおり、これはゲームが主役のお話ではなく、親子が心を通わせる物語ですから。

これを機に、ゲームをプレイしてみるもの良いでしょう。

欲を言えば、私も父と映画を見て、父を誘ってみたかったですね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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