先日Twitterにて、「帝国のほうが圧倒的に正しいことを言っていてエオルゼア側に感情移入できない」というようなツイートが流れてきました。
この意見自体、新生当時から言われていたことで、私も心情的によくわかります。
問題山積のエオルゼア三国。いざとなったら光の戦士に頼りがちな彼等よりも、強固な意志をもって世直ししたがっている帝国のほうが、一本筋が通っているように感じます。
ですが、一方でこの考え方は危険であるとも思うのです。
正直、ちょっと野暮な意見であることは重々承知しているのですが、一方で「正しさ」が暴走しがちな今の世界で、少しだけ立ち止まるきっかけになればいいなと思っています。
エオスト -Story of Eorzea- では、Final Fantasy XIV(FF14)のクエストストーリーをまとめています。あらすじ記事は以下のリンクよりどうぞ。
イデオロギーの対立
“正しい”ということ
少しガレマール帝国の主義・主張についてまとめてみましょう。
- 土地の命であるエーテルを蝕む蛮神は排除すべき存在。
- そんな蛮神を呼び続ける蛮族は排除すべき存在。
- そして。蛮神問題を解決できないエオルゼアは支配される(または滅ぶ)べき存在。
いかがでしょうか。圧倒的な説得力を持っているように感じませんか。
それはある意味で当然で、ガレマール帝国の意見は全てが正論なのです。
ガレマール帝国の意見は圧倒的に“正しい”。
そもそも論といいますか、万人が「そりゃそうだ」と思う意見ばかりで構成されています。
そうであるならば、“正しい”帝国に従うべきだ……と思うかもしれません。ですが彼等には致命的に欠けている……または意識的に排除している視点があります。
「現実」という視点です。
理想と現実
ひとつたとえ話をします。あまり良い話ではないかもしれませんが……。
リアルゼアのアメリカは、移民が先住民を排除することで成立した国家です。その歴史を“正しく”考えれば、先住民の方に土地を返して侵略者は出ていくべきだとも言えるでしょう。
しかし、それを実現するためには「今その土地に生まれてその土地で生きている人たちがいる」という“現実”を力ずくで排除しなければなりません。
このように、“正しさ”――理想とも言えますが、現実と相いれないことが多く、現実を矯正させるためには多大なる犠牲が伴います。
ガレマール帝国は、理想のために現実の矯正を数多実施し続けてきた国家です。言い換えれば、理想のために現実を無視し、力づくで周辺国を従えてきたのです。
政治の役割
本来、政治というものは、理想と現実を折衝させる役割を果たします。
残念ながら万人が満足するような解決策を提示することなんて不可能であり、その調整には毎回ある程度の犠牲者が発生してしまいます。
そして、政治が示す解決策が現実を無視すればするほど、犠牲者は多く発生します。
エオルゼア三国もその成立時、多かれ少なかれ侵略をしており、リムサ・ロミンサで特に顕著です。あの国はもともとサハギン族やコボルト族が住んでいた土地を奪って成立しています。
その強硬な策は、リムサ・ロミンサの民には支持されたものの、当然ながら追い出されたサハギン族及びコボルド族とは根本的に不和となっています。原理的にウィークポイントを抱えているのです。
あまり劇中では出てきませんが、そんな中でもメルウィブ提督はうまく舵取りをしようと努力を続けているのでしょう。しかし、見えてくるのは「いざとなったら冒険者に頼りがち」な弱腰で人任せな面ばかり。
そんな状態で帝国皇帝から指摘されればぐうの音もでないのは当然であり、一方で帝国が正しく思えるのもまた、当然なのです。
帝国の言うことは正論なのですから。
敵は正しいからこそ魅力的である
泥臭い解決策しか提示できない現実と、正しさの塊である理想
根本的にきれいさっぱり解決することができない問題を、少しでもうまくいくよう折衝し続けている現実。その姿は泥臭く、ともすればいつまでたっても何も解決できていないように見えかねません。
それは当然です。
現実の問題なんて、全員が笑顔で解決などというものはあり得ませんから。
対して、理想とは正しく、美しく、完璧なものです。
さて、どちらが魅力的に映るでしょうか。
根本的な問題を抱え、現実的に完全解決ができないまでも、苦心しながら運営を続ける「現実」のリムサ・ロミンサ。
現実をすべて無視し、美しい「理想」を掲げ、そこに向かって邁進する帝国。
これこそが、帝国(ひいては、数多のフィクションにおける“敵”)が魅力的に見える理由だと思います。
政治にはもう一点弱点があります。それは感情です。政治は「折衝する」という性質上、片方の心情に完全に寄ることができません。「正しい」自分の意見を完全に飲んでくれない政治に対し、理想を推し進める側は正しさを全面的に肯定します。そういった面でも、帝国は魅力的に映るのです。
理想論が危険な理由
「正義の反対は、もうひとつの正義だ」などという言葉があります。世の争いは、その多くが正義と悪のものではなく、イデオロギーの対立……つまり正義と正義のぶつかり合いです。
翻って、ガレマール帝国のような理想論に伴う矯正が為された場合、それは新たな対立軸を生み出すだけの結果となります。
確かに帝国の掲げる美しい理想には近づけるのかもしれません。しかし、その理想のために現実を蹂躙された者は必ず発生します。アラミゴやドマ、ダルマスカ王国等、枚挙にいとまがありません。
蹂躙された側にとっては、自らの現実を蹂躙されたという事実だけが残ります。それは悪の所業であり、矯正せねばならないと考えるでしょう。
しかし、帝国は帝国で、理想を追っただけにすぎません。
理想は追えば追うほど、現実を蹂躙します。それは新しく対立を生むだけなのです。
そんな犠牲を払ってでも近づきたかった理想。
陽炎のように遠ざかり、いつまでたっても到達することはありません。
理想は理想にすぎず、手に入れた瞬間にそれは「現実」となるのですから。
物語を楽しむ視点を増やすために
いろいろ書いたのですが、やっぱり敵側は魅力的に見えるものだと思います。
私が書きたかったのは「だから帝国を称賛するのは駄目だ」ということではなく、善悪の二元論ではなく、双方の主義主張という対立軸で考えれば敵も味方ももっと魅力的に見えてくるし、そうすればもっとFF14のお話を楽しめるのではないかということです。
FF14のストーリーは、個人ベースの英雄譚ではありません。光の戦士(あるいは闇の戦士)を取り巻く環境、大衆、国、果ては星や超越者までもが絡み合い、その世界を構成しています。
故に、少し分かり難い面もあります。歯がゆく思うこともあるでしょう。
そんなストーリーを心行くまで楽しむためにも、少し視点をかえて、登場人物、国の主義主張・そして葛藤を考えてみるというのはいかがでしょうか。
この文章が、新しい視点となることきっかけとなりますよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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